「東京画」を見る

TVで『東京画』(1985)を見た。W・ヴェンダースが小津へのオマージュを捧げた作品なのだが、私はちっとも感心しなかった。
パチンコ屋、ゴルフの練習場、竹の子族食品サンプル工場…ガイジン(欧米人)が奇妙に感じる日本。それらが全編にわたり冗漫に映し出される。あまりにステレオタイプ、あまりに底が浅く薄っぺらな感性にメゲた。音楽も前衛を気取っているのだろうが醜悪だ。無意識の悪意、または無知の奢り。

東京のホテルで、深夜TVがジョン・ウェインの映画のあとに日の丸、君が代を流すのを撮る。そこに何の意味があるんだ。TV(アメリカ文化)に毒されているとでも言いたいのか。『都会のアリス』(1974)でアメリカに幻滅し、ニューヨークのホテルでグジグジと独り言を言っていた主人公も同じだった。変わらないのも考えもの。

それに、初めと終わりに『東京物語』のファースト・シーンとラスト・シーンがそのままそっくり引用されるのだが、このシーンは東京じゃなくて尾道でしょう。ヴェンダースの見た1983年の東京と対比するのはおかしいのでは?

笠智衆厚田雄春にインタビューするのだが、なんというか、愛が感じられないのだ。特に厚田雄春に向けるカメラの眼差しからは敬愛の念が感じられなかった。もしかすると撮影したカメラマンが、この2人に対しヴェンダースほど思い入れを持っていなかったのかもしれない。

ヴェンダースは『夢の涯てまでも』(1991)で再び東京を撮ったが、そこでもパチンコ屋、カプセルホテルなど『東京画』と同じガイジンの見た奇妙な日本を恥ずかしげもなく使っていた。少しは成長してよ。笠智衆が出演するのだが、その登場場面は勘違い日本趣味丸出しで、この俳優に対する尊敬のかけらも感じられなかった。今は亡き淀川長治翁(媼?)がこの映画を見て大憤慨していたことを覚えている。 

『東京画』で唯一興奮したのは、新宿ゴールデン街のバーで、フランス人の映画監督クリス・マルケルが顔の半分(片目)だけ登場するシーン。ヴェンダースはちょうど同じ時期に日本で撮った映画『サン・ソレイユ』を見て、「この数日後見た彼の映画『サン・ソレイユ』は同じ外国人でも私にはとても撮れない映像で、東京をとらえた傑作だった」と率直に述べている。
西欧人が同じ日本(東京)を撮ったモノローグ映画でも、『東京画』と『サン・ソレイユ』では、どうしてあんなに対象へのアプローチの仕方に差があるのだろう。

ヴェンダースはドイツ人らしくマジメすぎるのかもしれない。
せめてアキ・カウリスマキとはいわないまでも(昨夜TV放映された『小津と語る』に登場した映画監督の中では、やっぱりカウリスマキが一番よかった)、ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)ほどのユーモアが欲しい。『ストレンジャー〜』では主人公が競馬新聞を見ながら、出走馬の名前をLate Spring(晩春)、Passing Fancy(出来ごころ)、Tokyo Story(東京物語)と読み上げるシーンがあった。小津監督へのオマージュとしてはこちらのほうがずっとカッコよくて洒落ている。

ヤンヤン夏の想い出

渋谷で妻と一緒に「ヤンヤン夏の想い出(「one&two」)」(エドワード・ヤン監督)を見る。
はじめはけっこうタルイ映画かなと思ったが、後半ぐっと引き込まれる。
特に場面が東京に移った時。外国人の撮った東京、日本人でこんなに心に沁みた映像は「サン・ソレイユ」以来かもしれない。特に電車の窓越しに撮った夜のビル街、ホテルの部屋からの東京タワーが美しかった。そして海のそばの温泉町、熱海。熱海といえばすぐに映画的記憶としての「東京物語」が重なる。

イッセー尾形が演じた日本人。外国映画に出てきた日本人でこんなにも強い印象(よい意味での)を残す人物に出会ったのは初めてのような気がする。助演男優賞を与えたい。
映画の中でイッセー尾形が言うセリフ-「私たちは新しいことを恐れる。しかし、朝起きたとき、私たちは恐れない。その一日が、まったく経験したことのない、新しい一日であるにもかかわらず

(2001年1月記す)

ザ・シェルタリング・スカイ―記憶の痛み

ベルトリッチの「ザ・シェルタリング・スカイ」のビデオを観る。普段、レンタルビデオを借りてくることはほとんどしないのだが、この映画は、去年、映画館で見逃して以来、気にかかっていた。
観終えると、「暗殺の森」「ラストタンゴ・イン・パリ」といったベルトリッチの70年代初めの作品から受けた印象と同じ余韻があった。それをうまく言い表すことばがみつからないが…。強いてあげれば淀川長治翁が言っていた“ロスト・ソウル”の映画か。

40年前、アメリカからモロッコのタンジールに移住した孤高の作家、原作者のポール・ボウルズ自身も登場し、ラスト・シーンで主人公に言う。「Are you lost?」と。この小説が書かれたのは1947年。だからこのシーンは1990年のポール・ボウルズが、昔の自分自身の反映である主人公に問いかけているということになる。

そこに時のめまいが感じられるのです。ポールの顔には記憶の痛みが出ているのです。記憶とは苦しいものです」と、このシーンについてインタビューに答えていたベルトリッチ。やっぱり好きな監督だなぁ。

(1992年3月記す)

F氏への映画メール(4)/成瀬映画ほか

F様

随分春めいてきました。
キネマ旬報」ベストテン特集号のコピー送ります。ついでに『成瀬巳喜男の設計』と映画のビデオもいくつか。
この『成瀬巳喜男の設計』はインターネット古書店で見つけて新たに買ったもので、ぼくは初版本を持っています。全部読むのがしんどかったら、「浮雲」のところだけでも読んでみてください。あと「乱れる」のところも。随分前に、Fさんと一緒に行った銀山温泉が出てくる映画だけど、成瀬監督はこの温泉があまり気にいってなかったようです。成瀬監督らしいですね。

成瀬巳喜男の映画は20代前半のころ数本まとめて見たのですが、今では作品の内容をあまり覚えていません。まあ、あのころに成瀬映画に夢中になったとしたら、そのほうがおかしいのかもしれませんが。「浮雲」にしても、30代になってビデオで見直してみてようやく大傑作だと理解したくらいです。『成瀬巳喜男の設計』を読んでもわかることだけど、昭和20年代〜30年代の日本映画の黄金時代をささえた技術人の仕事ぶりは、感嘆に値します。
送ったビデオの中に撮影監督の宮川一夫の仕事を紹介した番組があります。これを見ると「羅生門」のカメラワークは、今見ても斬新で少しも古くありません。以前はどちらかというと宮川一夫(黒沢、溝口)の華麗、重厚さより、厚田雄春(小津)の端正さが好みだったけど、あの番組を見るとこの人の撮影技術は人間国宝級だと思ってしまいます。

宮川一夫のテープには、ビットリオ・ストラーロも入れました。コッポラともども「地獄の黙示録」について語っているので、Fさんも興味深いのではと思って。この人が撮影した作品ではベルトリッチの「暗殺の森」が一番印象深い。最近(といっても7、8年前だけど)では「シェルタリング・スカイ」かな。

Fさんの傑作造語「ブライアン・ウイルソン現象」に即していうと、コッポラは確かに「地獄の黙示録」のあとは小品が多いけど、次の作品「ワン・フロム・ザ・ハート」は壮大なロケの「地獄―」から一転してすべてセット撮影で撮った実験的な作品でした。ストラーロの力もあるのでしょうが、あのころのコッポラはアメリカでは珍しい(R・アルトマンがいるが)ヨーロッパ的な「作家の映画」を撮る監督だったように思えます。その後はパッとした映画は少ないけれど、そこそこの作品は残しています。今になってブライアンは復活したようだけど、コッポラは長い間新作を撮れずにいて、その点でも純粋な意味での「ブライアン・ウイルソン現象」者とはいえないかもしれません。

ほかに「欲望」(M・アントニオーニ)、「お引っ越し」(相米慎二)、「王立宇宙軍オネアミスの翼」を送りました。
この中では「お引っ越し」がおすすめかな。なぜか相米慎二の映画はほとんど見ているのですが(遺作「風花」は未見)、あまり感心した覚えはありません。見た中ではこれが一番すぐれていると思います。特におしまいのほう、火まつりの夜に主人公の女の子がさまようシーンはストーリーと関係なく圧倒されます。死と再生。言うのは簡単だけど映像で表現するのは難しい。この映画で相米慎二を見直しました。

「欲望」はこの間レンタルビデオ屋で見つけて借りてきたもので、若いころに東京で見て興奮した映画。もしかするとFさんもそのころ見ているかもしれませんが…。今見るとアントニオーニらしい思わせぶりな映像がちょっと鼻につくけど、60年代当時のロンドンの風俗(モッズ族だったっけ?)がわかるので伝承映画としては合格点? 
Fさんが掲示板に書いていた懐かしの「楽隊馬車」で映画の感想を並べたことがありましたね(潤・W)。あれにこの映画をあげていて、「主人公のカメラマンが地下のディスコティックに迷いこむと、そこはヤードバーズの大演奏。ジェフ・ベックがギターを壊して踊る客たちに投げこむ…」なんて書いているのですが、今回30年ぶりに見直すと、ディスコの客は誰も踊ってなんかいないんですね。ただ今回見ても一番印象に残ったのがこのディスコのシーン。ジミー・ペイジも見られるし。Fさんもきっとそうでしょう。映画の良し悪しは別にして。

オネアミスの翼」はぼくはすごく好きなアニメだけどFさんはどうかな…(森本レオの声と宗教活動する女の子が気持ち悪いというのはあるかもしれませんが)。 宮崎駿とは違う日本のアニメの流れ。こっちのほうももっと頑張ってもらいたいと思うのだけれど。
では、

Date: Fri, 25 Feb 1999

F氏への映画メール(3)/アイズ・ワイド・シャット

F様

ところで、F氏は当然もう観ていると思いますが、おれも先日「アイズ・ワイド・シャット」観ました。キューブリックは「自分の最高傑作」といっているらしいけど。どう思う? おれは、ウーン…。

下敷きとなったノベルは19世紀末のウイーンが舞台らしいけど、それを現代のニューヨークに移し変えてもなんかピンとこない。ちょっと滑稽だったのは、妻が海軍士官に性的妄想を抱くというくだり。朝日新聞池内紀が言っていたけど、今時、制服の海軍士官に一目惚れなんてネ。性的不能になった人(キューブリックのこと?)が性を過大評価しているようだとも指摘していたけど。そんな気もする。それとも仮面舞踏会のファックシーンも含めて、これは皮肉をこめたフロイトへのパロディなのだろうか。それにしては全体にユーモアが感じられないし、遊びもあまりない。

ま、キューブリックも人の子、きまじめな西洋人だったんですね。東洋のあんぽんたんは、あんなことで悩まん。妻が性的な夢や妄想抱いたからってどうだっちゅうねん。そんなこといったら、おれなんか妄想のかたまり、そんなものをいちいちことばに出して責めていたら身体が持ちませんよ。

ただ、クリスマスの夜の、純な男の迷宮めぐりとして観ると、それなりに面白い。それに結構、映像が尾を引く。シーンひとつひとつに喚起力があるから残像となってあとあとまで残る。いちばん気にいったのは、貸し衣裳屋のエピソード。店主の娘がいいね。キューブリック好みだというの、わかる。
では、

Date: Fri, 20 Aug 1999

F氏への映画メール(2)/スタローンよりもトラボルタ

F様

ゴダールの『映画史』は見られなかったけど、きっといい映画だと思う。ひとりよがりでつまらなくても。ゴダール映画に対してF氏が言う「若々しくて古くさい」は、言い得て妙。原将人も同様。それでもワシは許す。

タルコフスキーパゾリーニ、ユーモアがないというのは同感。どの映画も直球一本勝負。おしまいの方(死期が近づくにつれ)ほどそれが強い。気持ちはわかるけど、映画自体はつまらなくなっていった。

あまり関係ないかもしれないが、つげ義春の作品は内容は暗い話ばかりだが、そこはかとないユーモアがある。それで救われる。日本人にはユーモアがないといわれるがそんなことはない。小津映画を見よ。

『サタデイ・ナイト・フィーバー』は青春映画の佳作ですね。それもまさしく70年代後半の青春。80年代前半は『フラッシュ・ダンス』。どちらも昼は働き、夜はダンス。ブルーカラーの青春。2001年から見ると、牧歌的だとさえ思える。

『テロの特別追悼チャリティー番組』はニュースでさわりの部分を見ただけだが、すごいメンバーが集まっていたのはわかった。その中でマヌケだと思ったのはシルベスター・スタローン。『ランボー3・怒りのアフガン』という映画をF氏は見ましたか?スタローン扮するランボーがアフガンに侵攻しているソ連軍と戦いを繰り広げるという話。ランボーイスラム原理主義者のゲリラたちと組んでソ連軍をたたきのめす。ラストで「アフガンの兄弟たちに捧ぐ」とかなんとかというクレジットが出る。スタローンは脚本も書いているんだけど、もはやこの映画のことすっかり忘れているのかしらん。好戦的で単細胞のアメリカをまさしくランボー=スタローンが具現しているってことわかっていたら、あの番組には出られないだろうに。

あとコイズミ首相、この人、人間的に好感は持てるけど、結構危険なところがあるって思う。靖国神社参拝にしろ、今回のテロ支援にしろ。理より情で動くところがあぶなっかしい。外交センスもない。写真集が出たらしいけど、それに載せている自作の短歌が、「週間朝日」に出ていた。

〈うるわしき いとしの君とデイトする 心ときめく 宵のひととき〉

〈ほほよせて 好きよなんでも あげるわと ささやく君の 若さいとしき〉

イノセントなのはわかるけど、こんな人にワシラの命あずけていいのか?

じゃ、
Date: Thu, 27 Sep 2001

 F氏への映画メール(1)/ラーメンよりも讃岐うどん

F様

Y嬢とのメール交換、その後どうですか。博識なF氏のメールにレスポンスできるとはイケテル女性の証拠?佐野史郎の奥さんのように美人だったらいいのにね。彼女はイイよ。いつだったか2人でアラスカ旅行をするテレビ番組を見たんだけど、奥さんのほうがずっと知的で決断力があるの。はっきりいって佐野史郎(映画でつげ義春役やったりしているけど全然いいと思わない)なんかにはもったいないと思ったよ。

チャットを初めて経験したとか。おれは気が小さいせいか、何となく気恥ずかしくてまだやったことない。あれって筆談と状況設定は似ているけど、相手がわかんないぶんドキドキしますね。それがイイっていう人がいるかもしれないけどおれはニガ手かな。

おれはテレクラなんかとってもできそうにない。電話で知らない子と話なんかできないもの。ことばが続かない。テレクラとチャットはコミュニケーションのスタイルとしてはとても似ているよね。けれど、電話やパソコンネット上では饒舌になれる人っていうのは、1対1で面とむかって話すことできないタイプ、つまり案外内気な種類の人間が多いのかも。

F氏進呈の村上春樹著『辺境・近況』、楽しめました。ただ、読んでみて春樹先生は紀行文あんまり上手じゃないっていう印象持ったんだけど。この人は非日常より日常を描くのに長けているっていうか、そういうタイプの作家じゃないかな。

生真面目すぎるのかな。だから『やがて悲しき外国語』のほうが本としてはよくできているし、面白い。先日、図書館でこの本を読み返したんだけど、これに例のバドワイザーに関するビールの話が出ていたんだね。ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」のところなんかはよく覚えているんで、以前読んだ時は適当に飛ばし読みしていたんだろう。

tshibonのフェイバリットな「ビーチ・ボーイズ」と「ロバート・アルトマン」を春樹先生もご贔屓にしているので嬉しい。どちらも”アメリカ”そのものを具現している。っていうことは何よりもアメリカが好きということなんだろうね。

それと、春樹先生の中華料理嫌い、最初は味の素が嫌いからかな(中華料理には味の素は欠かせない)と思っていたんだけどそうでもないみたい。讃岐うどんの必須アイテムに味の素のこと書いているし、カロリーメイトなんかも食べている。

でも、ラーメン嫌いの人って何だかとても信用できます。(はっきり理由は説明できないけど)

Date: Sun, 23 Aug 1998